at your discretion
外は日が照っているけれど、強い風が吹いているようだった。黄色に染まりかけた木の
葉が、スレートブルーの空をバックに揺れている。きっと、寒いだろう。
空には、形を得ない雲が漂っている。空中に霧散していきそうに薄く、静かに流れる。
空を飛びたいなあ。
片耳にMDウォークマンのイヤホンを指して机に倒れ込んだまま、僕は自分の中でそう
呟いた。
顔をつけた机から、隣に座った友人のペンを走らせているらしい振動が伝わってくる。
あいつは真面目に講義を聞いているのかと考えて、僕は少し、羨ましい気分になる。
僕は疲れていた。椅子に背筋を伸ばして教授の話を聞く気力を、絞り出せない。
そいつは、「ここ数日、上手くいっているんだよ」なんて話を、今朝誰かとしていたっ
け。全く、羨ましいったらないよなあ。
僕には、目標がある。夢と言ってもいい。もう何ヶ月も、その夢を追いかけて東へ西へ
で動き回っている。ダテに立てた目標じゃあないから、結構真剣に頑張ってるんだ。けれ
ど、そのツケが来たとでも言うべきか、昨夜から僕はめっきり気力体力を失ってしまって
いた。自分の望むものへの邁進のはずなのに。黒い鞄が、腕に重い。
今日の僕は寝不足状態だ。昨夜は情報を求めてのネットサーフィンで、ほとんど睡眠時
間が取れなかったのだ。結局は、ろくな情報も拾えなかったというのに。
考えれば考えるほど、何が本当の事で、僕は本当はどこに向かっているのか分からなく
なってしまう。時々、道しるべを見失いそうになる。
片耳だけのイヤホンからは、ヒーリングミュージックのダビングが流れている。レンタ
ル屋の売り文句は、「あなたに、優しい眠りを。」だった。けれど僕は、こいつを聞き始
めてから三十分経っても、まだ眠れはしなかった。目を閉じると、昨夜大量に頭の中へ流
した液晶画面の文字情報が、チラチラと浮かんでしまうのだ。
今は僕は、とっくに眠ることを諦めていたが、億劫なのでそのままの姿勢で窓の外を眺
めていた。古いが広い我がキャンパスは、全体的に低い建物ばかりが点在している。僕の
今いる校舎は一番に古くて、ささくれ立った机の表面が、ざらついて頬に痛い。
僕は視線をしばらく泳がせて、グランドでどこかのサークルがしているサッカーの練習
の様子や、上着の前を合わせて急ぎ足で歩いて行く人や、石畳の上の鳩なんかを眺めたり
していたが、やがて、一つの校舎に目を止めた。
それは、今年の夏に突然建てられた新校舎で、馬鹿みたいに高い。十八階建てである。
一面にマジックミラーを貼られた、なんともこのキャンパスには似つかわしくない代物だ。
僕はこのキャンパスの古臭く静かな感じが気に入っていたので、夏の間、ギンギンの日光
を映すそのビル肌を疎ましく思っていた。
しかし、今日何気なくその校舎を眺めてみて僕は、これまでとは少し違った印象を抱い
た。ビルの鏡は、今日は一面に、秋の空を映していた。スレートブルーの空に、白い雲が
ゆっくりと流れている。その光景は、その後ろの空との間にも、ほとんど違和感を抱かせ
なかった。立つ位置によって、鏡に映る景色は変わるものだ。僕は、そういえばこういう
角度であの建物を見たことはなかったなあと思い、下から見上げる時よりもずっと、マジッ
クミラーの威力を感じていた。
空を飛びたいなあ。僕はそう思ったけれど、果たしてどうして自分がそんな事を思った
のか、よく分からなかった。よく分からないまま、飛んでいる自分を想像してみる。さぞ
や気持ちが良いだろう。
美しい空を見たときに、その空に抱かれたいと思う人が多いのは、なぜだろう?どうし
て飛んだこともない空が、気持ち良いなどと思うのだろう。僕は考えてみるけれど、思考
は散漫で、視界に浮かぶあの雲のごとくに形を変えては霧散してしまい、結局僕の頭には
何のアイデアも無いままだ。ただ、漠然と思う。
ああ、空を飛びたいなあ。
考えれば考えるほど、自分の気持ちなのに分からない。考えれば考えるほど、何が本当
の事で、僕は本当はどこに向かっているのか分からなくなってしまう。でもきっと、そう
いう事はよくあることだ。漠然と残る気持ち以外、本当のことなんて、何もないのかも知
れない。なくちゃいけない訳じゃないだろう。僕はあの夢を実現させたいし、この空を飛
びたいんだ。理由(わけ)なんていらない。
MDは、六曲目に入っていた。at your discretionというタイトル文字が、コントローラー
の画面に流れている。
そこでタイムリーにも、終業のチャイムが鳴った。
僕は席を立って教室を見まわし、ある友人を探した。彼は写真サークルを作っていて、
いつもカメラを持っている。撮ってくれと頼んだら、快く承諾してくれた。しかも、今日
はポラロイドカメラを持っているという。僕は嬉しくなって、荷物をまとめると、目標の
新校舎まで急いだ。
エレベーターを待つのがもどかしくて、上矢印のボタンを何度も押す。終着点は十階の
真ん中の教室。僕は友人の待つ旧校舎に向かった窓を開け放ち、身を乗り出して、両腕を
広げた。それからすぐに、きびすを返して、旧校舎へ戻る。
友人は、きっと今の姿を約束通り撮ってくれただろう。できあがりが楽しみでこうして
走っているのだけれど、でも僕は、それを見なくても何となく、その写真が頭の中で描け
ている。机の上で突っ伏しながら、ずっと想像していたんだ。
きっと僕の周りは一面の秋の空だ。白い雲も浮いている。その中にぽっかり口をあけた
黒い四角。マジックミラーの窓を開けると、まるでそこには、どこか別の次元とつながっ
た穴がぽっかり浮いているみたいに見える。その中で僕はきっと、あんなに重かった黒い
鞄を頭上高くに振り上げて、今日一番の、元気な顔をしているんだ。
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あとがき
この作品は、御崎さんからMDと鏡を小道具にというお題を頂いて書きました。
かなり難しかったです。
凛はいつも、電車でMDを聞き、地下鉄なので、窓に自分が映るのを鏡代わりにしたりし
ていますが、それじゃあなんだかありきたりでつまらないし。
かといって、どんなに考えても考えても、他の案がなかなか出てこなくて。
結局この作品になったのは、まさに授業中に昼寝をしていたからという、棚ボタみたいな。
でも、作品を書くのって、考えすぎてもいけないんだなと悟りましたね(笑)。
そうそう、at your discretionというのは、「思うままに」という意味です。
この作品は、秋晴れらしい爽やかな感じにできあがったんじゃないかと、なかなか満足し
ています。
この作品を、カウント2525ゲッターの御崎さんに捧げます。