ちぐはぐ
コンビニエンスストアのガラス張りの冷蔵庫の前で、私はその中身を眺めている。
「ついでに、何か飲み物でも買っておいてよ。何でも良いから」
そう言われたって、困ってしまう。
何かって、何だろう?何でも良いって、どんな種類のことを指しているのかしら。
一口に飲み物って言ったって、お茶から炭酸やスポーツドリンクや100%ジュースまで、
色んな種類があるじゃない。飲み物が欲しい、って言うからには漠然とでも、状況と気分
に応じたそれなりの希望ジャンルはあるはずだと思うのだけれど、でもそんなこと、想像
しろって言われても無理だわ。あの人の考えていることなんて、私には分からない。
だけどあんまりそうして眺めていても、お店の人から迷惑な顔をされてしまいそうで、
私は少し、どぎまぎした気分になる。仕方がないので、今しがた私の前をすり抜けて行っ
た男の子の真似をして、私は「爽健美茶」のペットボトルを買うことにした。
コンビニを出ると、左へ曲がって公園へ向かう。
梅雨の晴れ間とは名ばかりの曇り空で、昼過ぎなのにやはり暗い。それでもここのとこ
ろ滅入るぐらいに雨続きだったので、朝食の後に雨が上がったのに気がついたら、何とな
く気分が良くなって、散歩がてらに近所のコンビニを目指して来た。
サンダル履きで家を出て、丁度コンビニが見えた頃に翔介から電話があって、唐突に、
「今駅前にいるから、公園で会おうよ」
と言われたのだ。
「サンダルで良いからさ。あ、コンビニに行くなら、ついでに何か飲み物でも買っておい
てよ」
私は左手のビニール袋を必要以上に振りながら、人のまばらな道をサンダルの底を擦っ
て行く。公園まで行くつもりなら、ちゃんと靴を履いて来るんだったのに。
「健康サンダルなんて、みっともないなあ」
周りに人がいないのを確かめた上で、一人ごちる。
いい若者が健康サンダルでデートなんてちょっと嫌だなあと思うのだけれど、翔介はそ
んなことはいちいち気にしない人だ。何事にも無頓着で大雑把だから、例えば私が高校生
の頃の、もうボロボロになった体育ジャージを着てたりしても、
「いいよいいよ、待つの面倒だし、そのまま出ておいで」
なんて言ってしまうのだ。
そんなことを考えながら歩いていたら、
「ああ、もしかして、翔介の方が寝起きそのままだったらどうしよう。いくら地元の公園
だからって、あのテレテレに伸びたパジャマ代わりのTシャツで現れたりしたら、さすが
に恥ずかしいよなあ」
なんて考え出して、足取りが憂鬱になって来てしまった。
自分が、彼に比べてかなり細かい性格なのは自覚している。友人が付けた私と翔介の代
名詞は、「ちぐはぐカップル」だそうだ。私達が付き合うことになった時、彼女達は、
「絶対続かないね。どっちかが我慢ならなくなって喧嘩別れでしょう」
という、あまりに正直な忠告と、
「いや、意外にこういうのが長続きしたりするかもよ。面白いから付き合ってみれば?」
という、何とも無責任な後押しをくれた。ちぐはぐという表現が、妙に私達にぴったり来
る気がして、聞いたときは思わず笑ってしまったのを覚えている。
私達の付き合いが、成り行きを見守る彼女達にとって面白いかどうかは知らないけれど、
とりあえず、今日みたいに何の約束も無しにいきなり、今すぐ近くだから、なんて言って
来られると、少々面食らってしまうのが私の本音だったりする。
公園には翔介の方が早く着いて、ボウっとベンチに座っていた。噴水の向こうから彼の
姿を認めて、きちんとした恰好をして来ていることに、ホッと胸を撫で下ろす。
ベンチは、大きな木の下にあったからなのかそれとももう乾き始めたのか、座れるほど
の綺麗な部分を残していたので、私は用心深く確かめてからそこに腰を下ろす。そうする
と、翔介とは少し離れて座る格好になった。
途中で憂鬱になってしまったあまり、私はずっとゆっくり歩いて来たのに、翔介は、
「早かったね」
なんて適当な言葉で挨拶をして、嬉しそうに私の手から受け取った爽健美茶のフタを開い
た。
私達は昨日の事や明日の予定なんかをいくつか話して、友達の話しをして、そうして三
十分もしないうちに、どちらからともなく会話が途絶えた。
「お茶が美味しいなあ」
なんて言って、満足そうに順調にペットボトルを空けていく翔介の横で、私は、
「こんな天気も悪くないよなあ」
と、頭上を見上げて呟いた。空気はしっとり湿っていて、緑の香りを絡めた重さでゆっく
り降り、私達の足元に深く積もっていた。見上げていれば、頭上の木から空気の粒子が緑
を巻き取る様子が見えて来るような気がして、私はしばらくそのままでいた。どこか遠い
所で誰かがキャッチボールをしているらしくて、翔介は、一人でそのやりとりにコメント
を付けている。
そのコメントを聞きながら、私は、もし買ってきたのがお茶じゃなくて、例えば炭酸飲
料だったとしたら、きっと翔介は、
「炭酸は良いよなあ」
なんて言っていたのだろうかと考えて、そう思うと、彼の本音が何だかとても遠い所にあ
るような気がして、悲しくなり始めていた。
二人の間に置かれていたペットボトルを取って、中身を口に含んでみる。ぬるくなって
しまった爽健美茶を、まるでワインを飲むときのように舌で転がしてみたけれど、ちっと
も美味しくなんかない府抜けた味で、翔介は嘘を言ったのか、それとも、私達は味覚もや
っぱりちぐはぐなのかしら?
私の気持ちは、辺りを取り巻く湿気を帯びた空気よりもはるかに重くなってしまって、
積もっていた緑の粒子の中をズブズブと沈んでいくようだった。今ではもう、汚れた健康
サンダルの辺りを遭難者みたいに溺れている。
私は慌てて両足で空気を掻き回し、傍らの翔介を、助けを求めて振り返った。けれど彼
はまだキャッチボールに夢中なままで、私の視線には気付いてくれないのだ。私が溺れか
けているって時に、翔介ってば、なんて呑気な顔をしてるのよ。こんな絶望的な気分って
あるかしら?
ああもうダメだ、なんて、悲しい言葉が唇を滑りそうになる。
私達は、本当にちぐはぐだ。例えばこんな風に、私が心の底から落ち込んだり悲しんだ
りしている時にも、翔介は本当に正反対にお呑気で、私の気持ちの変化に気が付いて、ど
うしたの、なんて声を掛けてくれたことは一度だってない。
深刻な雰囲気は彼には似合わないと思う。普段そういう処に暮らさない分、空気の重み
を人一倍に苦しく感じてしまうかもしれない。だから、私は自分で伝えることができない。
口に出せれば簡単で、でもきっと、そうすればやはり同じように簡単に、翔介をも苦しめ
てしまう。だから口に出せない。そうしていつも、翔介は何も気付かないまま。
だから、そう。翔介は、こんな風にいきなり、気ままに私の手を取って、楽しげに鼻歌
を歌い出したりするのだ。
私は右手をガサツに握られたまま、翔介を見つめている。翔介は、断続的に聞こえてく
るスパンスパンという音の出元を見ている。
私達に、喧嘩別れはないんじゃないかと思う。私は翔介を苦しめる言葉なんて言えない
し、翔介はきっとそんなにいろんな事を気に止めたりはしないから。
「あいつ上手いなあ。もう少し大きくなったら、良い選手になるなあ」
翔介は、私の手を握っていることなんかもう忘れてしまったみたいに私には無関心で、
鼻歌の間からそんなことを言ってばかり。少しも私を振り向かない。だから私も色んな事
を忘れかけてしまって、せっかく掴まることのできた翔介の手があるのに、また溺れそう
な気分になる。
けれどもはっと気付けば、私の右手は温かいのだ。私は冷え性で、夏でも手足は凍るよ
うに冷たくて、それと反対に翔介は、まるで眠たい子供みたいに、いつも全身で熱を発し
ている。その熱の温もりで、私は、無造作にも翔介によって溺れから救われたんだったと
思い出す。
私は何だかほっとして、嬉しくて、どこか寂しくて、涙を流さずには居られなくなって
しまった。けれどそれを見られたら彼を苦しめてしまうので、私は慌てて、翔介の首に飛
び付く。翔介は本当に本当にお呑気だから、そんなことをしても実際の涙さえ見なければ、
何も気が付かないのだ。私が静かにそこで泣いている間も彼の興味はキャッチボールの方
にあり、私が首に巻き付いていることすら気付いていないみたいに見える。少し寂しいけ
れど、彼を苦しめなかったことは、私を安心させる。私の涙や悲しい気分に、気付かれな
くて良かった。安心は、すなわち、幸せという気持ちの引き金になる。
突然そこで、翔介の携帯電話がけたたましく鳴り出した。その機械音は、唐突に幸せな
気分になり始めていた私にはひどく不愉快で、煩わしいものだった。けれど翔介にとって
はやっぱりそれも範疇外のようで、私が抱き付いたときと同じように、何の反応も示さず
に鼻歌を続けている。そのうちに私は、そのしつこい呼び出し音がどうしても我慢ならな
くなって、翔介のお尻のポケットから携帯電話を抜き出し電源を切ってしまった。ピピッ、
と音がして、液晶の画面は何も映さなくなる。
どこまでもお呑気な翔介は、そこで
「おっ、静かになったな」
なんて呟いて、また気ままに、私の頭を撫でたりするのだ。
煩わしい雑音が消えて私は安心し、ふたたび幸せという気分の中へ。
髪を撫でる翔介の手の温かさが心地良く、背の小さい私が大きな体つきの翔介の腕に包
まれてしまっていることを意識して、現金にも、こう思う。
体温の高い翔介と反対に、冷え性で良かった。
大きな体の翔介にすっぽり収まる、小柄で良かった。
そういう所がちぐはぐで、良かった。
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あとがき
この作品は、ミカコさんから「爽健美茶と携帯電話を小道具に」というお題を頂いて
書きました。
全然活かせてない、特に携帯が苦し紛れだったと思った貴方、鋭いです(笑)。
人様に送る物なので、なるべく暗い話は避けたいなあと思っていたのだけれど、梅雨
という季節柄か、どうしても明るい発想に繋げられなくて苦労しました。
いつもより大分長い作品になったのも、なんだか、梅雨のジメジメ・ねとねと(?)
した、ハッキリしない感じに影響されてしまっているのかも知れないなあ。
最近は個人的な不都合でグチグチ言って、ごめんなさいね。この作品も、もっと早く
に進呈するべきだったのだけれど。ミカコさん、気長に待ってくれてありがとう。
この作品を、カウント2000ゲッターのミカコさんに捧げます。